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映画・嵐の王

レヴュ・ライト

 昨年末の雪深い日の朝、家の庭に猪が出た。家といっても、アンヴァルの狭いアパートメント生活に嫌気がさして二十年ほど前に買い求めたフェルディア地方の外れにある田舎の一軒家だ。人口よりも獣の多い地域である。
 物置きが荒らされ、雪の下に隠しておいた人間の越冬用保存食の野菜を掘り当てられて甚だ迷惑した。
 しかし彼(猪は一頭だけなので、ここは便宜上彼ということにする。うら若き乙女であったなら申し訳ない)を見ていると不思議と、歌劇「嵐の王」を思い出してしまうので私は冬の間、猟銃を手にすることができずに窓ガラス越しに彼との生活を楽しむことにした。
 嵐の王の異名の一つが「猪」であることはこの歌劇を好んでいる者であれば周知の事実だろう。そこで私は冬のあいだ中、我が家の庭に現われた彼のことを「ディミトリ」と名付けることにした。
無論、嵐の王はフィクション作品である。けれど、そのモデルとも言われる非業の死を遂げたいにしえの王の名前をつけたのはいささか不敬だろうか。あくまでも私が心の中で勝手に呼んでいるだけの名前なのでお許しいただきたい。
 ところで最近、映画「嵐の王」が公開された。前述のように田舎ではなにかと上映環境が揃わず、遠くの映画館まで足を運べていなかったのだがどういう訳だか悪評ばかりが聞こえてくる。
たしかに予告編を観たとき嫌な予感はしていたが、本当にそんなに酷いのか?
あまりに気になるのでついに足を伸ばして観に行った……というのは方便で、仕事で帝都に向かうことがあったのでようやく見ることが叶ったのだ。
 夏の通り雨に降られ、タルティーン平原の戦いの再現だと諦めるように笑ったのは今となってはいい思い出だ。
 さて、映画の本作である。
 『往年の大女優ドロテア=アーノルトの妹を探せ~新人発掘オーディション』で三万二千二名の中からグランプリを獲得して芸能界デビューを果たしたマヌエリ=カザグランダ(当然、これまたミッテルフランク歌劇団出身の歌姫マヌエラから名前をもらった芸名だ)がヒロイン役を務めるのだが、彼女のずば抜けた歌唱力は歌劇にはない本作で初公開の作曲家イニャツィオ=ヴィクターの新曲で妖艶な演技と共に披露されている。デビューこそ映画作品であったが、今後の彼女の真価は舞台で問われて行くだろうことが疑いないもので大変楽しめた。
 そして映画の終盤、最大の見どころであるであるタルティーン平原は全シーン最新のCGで作られているのは特筆すべきだろう。これが非常にリアルである。
 本当に、生々しいほどにリアルなのである。
 例えば物語の序盤であるが、嵐の王がまだその名で呼ばれる前の時代。一人の従者を伴い辛い逃避生活を送るシーンがある。これがあってはじめて彼は嵐の王たる嵐の激しさを表出するわけだが(気質はもともと持ちあわせていた可能性が十分にある)、襲いかかる追手と戦うシーンがある。
 これが連続ドラマの時代劇ならソードマスターにスパッと切られた敵がバッタバッタと倒れていくというのが定番だろうが、本作はセットだけではなく全てがリアルでファンタジーなのだ。ファンタジーをリアルに描くのだからいっそ恐ろしい。およそ尋常ならざる人力で千切られて吹っ飛ぶ四肢の肉片や音、断末魔のリアルなど一体誰が知りたいのだろうか。
 まだご覧になっていない方もいらっしゃるだろうから詳しい話は差し控えるが、映画版では上映時間の関係と思われる数々の変更と省略が施されているので心づもりはされていた方がいいだろう。ドミニク男爵弟である騎士父娘の悲劇がないことになっていたりするのだ(そもそも帝国に寝返ったはずの娘の存在がなくなっている。私はここが一番好きなのに)。
 しかしながら、本作で最も首を傾げたのはダスカー人の王の従者である。
 人種については過去に数々の議論がなされており、今回は言うつもりはない。そんなことよりも女騎士なのだ。嵐の王が唯一心を許した従者が、女優が演じているのである。
 もちろん、嵐の王は歴史書ではない。歌劇なのだ。フィクションである。
 今までもこの手の改編はあり、王の幼馴染みとして登場した次期公爵が少女として描かれた斬新な舞台もあった。しかしあれは、同じく幼馴染の天馬騎士と共に王を守護する二人の悲劇の乙女として描かれており、少女たちの友情と団結を描く新しい試みでもあってかなり受け入れられていたように思う。一人祖国を裏切ることになった至上の騎士と呼ばれる青年との死闘も丁寧に描かれており、新たな魅力を開拓した作品でもある。
 では、本作は?
 残念ながら、一般に大柄で屈強なダスカー人のイメージからはかけ離れる色白の小柄な少女への評価は私が述べるまでもないだろう。
 監督の次回作は「女帝と歌姫」が決定している。今作と同じ轍は踏まないことを期待している。
 

作成者:スクリーン様

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