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見舞い言葉「次の飛竜の節にも」の使用地域と用法の変遷に関する一論考

―パルミラ竜葬信仰の視点から―

私立フリュム大学大学院
人文科学研究科言語文化専攻コース

シリル・ニーマンド

要 旨 別れの挨拶「次の飛竜の節にも」は、再会を望むという含意を持つ慣用句である。この慣用句は主に祝辞の場において結びの挨拶として使用されるが、フォドラの一部地域では病院において「お大事に」と同等の意味を持って発話される。しかしこの「人を見舞う場」での使用について深い議論がなされたことはなく、どの地域で使用されているか具体的に示す調査報告も見られない。本論考では病院で使用される「次の飛竜の節にも」を見舞い言葉と呼称し、見舞い言葉を使用する地域の特定を行う。また同時に、祝辞の場と見舞いの場という異なる場面で使用されるようになった要因について、パルミラの竜葬信仰を主軸にして考察する。

1.はじめに

 慣用句「次の飛竜の節にも会いましょう(以下:次の飛竜の節にも)」は、フォドラ南部を中心に使用される別れの挨拶であり、旧節名称の飛竜の節とは現在の10節を指す。以下は『フォドラ慣用辞林』からの引用である。


 次の飛竜の節にも- 
 ①再会を望む、或いは再会を約束をする意を示す挨拶。主に手紙の結びに使用される
 ②一部の地域では「お大事に」と同等の意味を持つ。この場合、使用場面は病院に限られる。
                        (『フォドラ慣用辞林』1735:218 )

 この慣用句は単なる別れの挨拶ではなく、長い別れを惜しむ含意を持って使われる。本来は手紙の結びの挨拶であったが、交通の利便化や電子メール・SNS等、素早い伝達手段が普及していくにつれ、文面での使用は減りつつある。現在は「再会を望む」という機能のみを拡張させた発話での使用が主で、使用場面は公的な挨拶・スピーチに限られつつある。また、以下のように語末を限定せず、言いさし文や話し手の意思や状況に依存した形を取る特徴がある。

(1)卒業式の来賓による祝辞での使用例
今日を持って皆さんは本学を卒業することになりますが、この学び舎はいつまでも皆さんの母校です。次の飛竜の節にも会えますよう、ご健勝をお祈り申し上げます。

(2)スポーツ表彰のスピーチでの使用例
本日奮戦なさった選手の皆様を始め、観戦して頂いたお客様方。暑い日差しの中、ありがとうございました。それでは、次の飛竜の節にもまたこの場で会いましょう。 

 

 このように「次の飛竜の節にも」は、祝辞の場において前向きな意味合いを伴い、多人数の聞き手に向けて発話するのが主流である。しかし大陸の一部の病院では、この慣用句は病院に限り「お大事に」と同等の意味を持って発話される。「お大事に」の意味で使用される場合、使用場面は見舞いや診療を終えた後であり、広義としては「再会を望む」という機能は失われていないと考えられる。
 祝辞の結びと見舞いの挨拶という二場面での用法は、どちらも広義としての機能こそ共通しているが、使用場面の隔たりは非常に大きい。また、見舞いの挨拶としての使用は、フォドラ一部地域のみとされているが、具体的にどの範囲で使用されているか調査した論考は見られない。
 よって本論考では「次の飛竜の節にも」を病院での見舞いの挨拶として使用する地域の特定を行い、その用法に至った経緯を考察していく。また本論考では別れの挨拶と見舞いの挨拶との差別化をはかるため、便宜上病院で使用される「次の飛竜の節にも」を「見舞い言葉」と称することとする。

 

2.先行研究

 始めに「次の飛竜の節にも」の語源についてであるが、オックス(1648)は「次の飛竜の節にも」の語源を、古パルミラ語の"Dsper e Degón"であるとしている。"Dsper e Degón"はフォドラ語に直訳出来ない嘆詞に近しい語であり、意味合いとしては「飛竜が帰る時まで生きろ」に相当する。更にこの論を踏まえたヴィクター(1673)によると、この語は主にパルミラの軍記・戦記での使用が見られ、軍人同士が戦の前に帰還を約束する掛け声であると指摘されている。
 また「飛竜の節」という表現については、エドマンド親子(1392)によってパルミラの竜葬信仰が関わっていることが示唆されている。エドマンド親子は二代に渡ってフィールドワークを行うことで、飛竜の生態や生息地、生息地に見られる文化や信仰をまとめ上げている。以下はエドマンド親子(1392)からの引用である。


 さて、今日び我らが主の在り処を天上とすることと同じふうに、パルミラも死後は空へと向かうを良しとしているようだ。オグマ山脈付近にて鳥葬が執り行われるはフォドラに知られた話であるが、パルミラにおいては春夏を北にて過ごした飛竜に、死者を丸呑みさせるを吉とする習俗がある。晩秋、パルミラへ渡り帰った飛竜は長旅に頗る腹を空かせ、口広くして人畜問わず腹に丸々収めんとする。剣が如き牙を持ってしても咀嚼で骨肉を地に落とされては堪らんとして、ひもじさ抱えた飛竜が群れを成す飛竜の節こそ、死者を弔うに相応しいという。骸一片空から離るることを口惜しがる、この弔いは竜葬信仰とも言うべきか。

(エドマンド 1392:281)


 亜熱帯に属するパルミラは、飛竜が越冬にやって来る渡来地の一つである。パルミラはフォドラよりも飛竜の渡来地が多く、古くから飛竜は生活や文化に密着した生物となっている。その文化圏においては飛竜に死体を食べさせる竜葬がある。竜葬とは死者の魂を天へ送るため、飛竜に死者の肉体を食べさせる葬儀の一つであり、1642年に国際衛生規則が改正されるまでパルミラでは一般的に行われていた。
 また竜葬は飛竜の節に行われることが最適とされている。これはエドマンド親子(1392)が示す通り、腹を空かせた飛竜に死者を丸呑みさせることにより、確実に天へ届けるという竜葬信仰によるものである。
 先述したオックス(1648)が挙げた「次の飛竜の節にも」の語源"Dsper e Degón"は、パルミラの神話や戦記に見られる軍人の掛け声であるとされるが、この掛け声にも飛竜が関わっている。エドマンド親子(1392)を見る限り竜葬信仰もパルミラ由来であり、現代フォドラ語の慣用句「次の飛竜の節にも」に竜葬信仰が関わっていないとは考えにくい。
 次に「次の飛竜の節にも」がフォドラで使用され始めた時期についてだが、これはヘグリング(1712)によって一定の成果が挙げられている。ヘヴリング(1712)は時代ごとに児童書として現代語訳され続けている『フォドラ寓話集』を読み比べ、そこに使用される言語表現の差異についての調査を行っている。『フォドラ寓話集』は現在5版目の現代語訳が出版されているが、ヘヴリング(1712)によると第3版の訳文に「次の飛竜の節にも」の使用が確認されている。以下はヘヴリング(1712)からの引用である。


 寓話「尾の太い穴熊」の大筋は、冬眠の支度を怠けたアナグマが蜂に尻を刺され、友人のネズミに笑われながらも忠告と慰めを受けるというものだ。大筋は2版と3版で変わりないが、物語終盤におけるネズミの手紙の場面には大きな表現の違いが見られる。

2版:

(前略)蜂なんぞに刺されたんなら、尾っぽ大きくなって寝づらいことこの上なかろ。今からでも遅かない、たんと食べて冬に備えて精々養生するんだな。来年また会おうってんならおっ死ぬんじゃねえぞ。


3版:

(前略)蜂に刺されたのなら尻尾も大きくなっちゃって横にもなりにくいだろう。今からでも冬支度は遅くはないさ。たくさん食べて冬に備えてゆっくり休んで体を治しな。それじゃ、次の飛竜の節にもまた会おう。

 2版では「来年また会おうってんならおっ死ぬんじゃねえぞ」と訳されている部分は、3版では「それじゃ、次の飛竜の節にもまた会おう」という表現に置き換えられている。場面に変わりはないため、これはどちらも別れの表現であり、また手紙の文面として描かれていることから、結びの表現でもあると捉えられるだろう。

(ヘヴリング 1712:79)


 『フォドラ寓話集』の2版は1356年出版であり、3版は1578年出版である。ヘヴリング(1712)の指摘を元にすると、1500年代中期からは別れの挨拶及び手紙の結びとして、「次の飛竜の節にも」の使用が定着していたものと考えられる。
 これらの先行研究を踏まえると、パルミラの掛け声"Dsper e Degón"が、フォドラ・パルミラ連合王国成立後フォドラ大陸に伝わり、別れの慣用句「次の飛竜の節にも」という形式を残して伝播していったと推測される。

3.研究方法

 前述したとおり「次の飛竜の節にも」は語源、文化背景、フォドラでの使用時期が明らかにされている。しかし見舞い言葉の使用地域に関する言及はなされていないため、本論考ではアンケート調査で見舞い言葉「次の飛竜の節にも」を使用する地域の特定を行う。このアンケートで回答者の出身地・使用場面を調査することにより、見舞い言葉の使用地域を絞ることが出来ると考えられる。

 また見舞い言葉としての使用経緯に関しては文献調査を行う。ヘヴリング(1712)を元に考えると、別れの挨拶「次の飛竜の節にも」は1500年代中期には使用が定着しているだろう。その前後に発刊された文芸書の中から、見舞い言葉「次の飛竜の節にも」の用例を収集することにより、見舞い言葉の持つ文化的・歴史的背景を観察できる期待される。また文献調査ではガルグ=マク文化保全局制作「古典データベースCichol(以下Cichol)」を使用するが、この点に関しては後に詳細を述べる。

4.調査

4-1.アンケート調査

 アンケート調査はフォドラ語を第一言語とする学生を対象に行い、ダグザ語第一言語話者やパルミラ語第一言語話者など留学生は対象外としている。また、今回の調査はあくまで言語の使用地域の特定であるため、回答者の年代や男女比率に指定は加えていない。

 質問項目は以下の通りである。

①フォドラ語第一言語話者である ( はい / いいえ )→いいえの場合回答終了

②「次の飛竜の節にも」を病院で聞いた経験、言った経験がある ( はい / いいえ )

③質問②にて「はい」と回答した方は出身地を市名で記入(任意回答とする)

 

 調査に協力頂いたフォドラ語母語話者127人分のアンケートを集計したところ、①の質問に対して経験があると答えた回答者は61人と、全体の半分以下の結果となった。更にその内出身地を回答した回答者は52人であり、出身地の内訳は以下の通りである。

 「次の飛竜の節にも」は元々フォドラ南部で使用の見られる慣用句だが、①の質問に対して経験があると答えた回答者は全体の約半数であり、病院での使用はあまり一般的でないことが分かる。また、人数にばらつきはあるものの、①の経験者の出身地はヌーヴェル市やフレスベルグ市といった、フォドラ南東部に偏りが見られる。最も回答者の人数が多いベルグリーズ市は大陸中央部に位置する市だが、これは回答された市の中で最も人口の多い都市であることも関係しているだろう。

 今回着目すべきは経験者の人数ではなく、病院での使用が見られる地域の特定であるため、ヌーヴェル市とマグドレド市、フレスベルグ市とヴァーリ市など、互いに隣接し合った南東部の市での使用が確認されたことを特筆しておきたい。また、「次の飛竜の節にも」自体は古パルミラ語を語源としているが、ゴネリル市やダフネル市といったパルミラ国境沿いでの使用は今回確認されなかった。このことから病院での使用がなされる南東部の地域には、言語周圏論的な法則とは別の共通背景があると考えられる。

4-2.文献調査

 ここでは「次の飛竜の節にも」が病院で使用されるようになった経緯について考察するための文献調査を行う。ヘヴリング(1712)を元にすると、フォドラ大陸で「次の飛竜の節にも」が使用されるようになったのは1300年後期から1500年中期の間と考えられる。よってこの時代に刊行された文学書や民話集を観察することで、「次の飛竜の節にも」が病院で使用されるに至った文化的・歴史的背景を見られることが期待される。

 観察する文献の選定については、研究方法にも記述した通りCicholを利用する。Cicholは1312年から1520年までに刊行された文芸書をテキストデータ化しており、古典単語や文を文字列検索することが可能である。文字列検索の結果では、前後の文脈と検索対象の出典元も記載されているため、「次の飛竜の節にも」が使用されている文献一覧を表示することが出来る。

 Cicholにて「次の飛竜の節にも」を文字列検索した結果、使用の見られる文献は12件だった。その内、前後文脈から手紙での使用と判断できる文献が5件、既に先行研究で挙げた文献が4件であり、新たに観察を必要とする文献は3件ということになった。その3件のうち『完訳南パルミラ神謡集』と『リーガン三勇士』を調査したところ、「次の飛竜の節にも」の用例として以下のものが見られた。

一つの谷と三つの山を飛び駆け追い越し

空を飛び我らは寒さを追い風に帰り行く

長い長い空の旅 翼のない人の子には出来ぬ旅

地に住む彼らは 天へと向かうが幸いだそうで

置き去りにされては 困ってしまうのだそうで

片ちんばの足では 雲の上にも立てまいて

空飛ぶ我らが 腹ペコになって帰るとき

人の子旅立つに それ以上の吉日はないらしく 

もしまだ 旅立つには早い頃合い

もしまだ 我らの腹を満たしたくない頃合い

目の前で死なんとする人の子あらば

「次の飛竜の節にも、どうか、どうか、生きておくれ」

そうやって呼びかけてやっておくれ

さすれば ひと時の間だけ待ってしんぜよう

次の年まで待ってしんぜよう

(『完訳南パルミラ神謡集』1450:98)

 『完訳南パルミラ神謡集』は人間と神のそれぞれの目線で語られる民謡を収集したものであり、上記は「白竜の唄った歌」からの引用である。この民謡は白竜という一柱の神の視点で語られているが、これは飛竜の節に死者を食らう「飛竜たちの擬人化」として捉えて良いだろう。

 この民謡での「次の飛竜の節にも」の前後文脈を観察すると、発話の対象は「目の前で死なんとする人の子」となっている。これは危篤状態の人間へ向かって「次の飛竜の節にも」を使用している例であり、このような使用は次に挙げる『戯曲 リーガン三勇士』にも見られた。

 

グロスター

まだ早い。まだ昇るには早いぞヴァレンティーヌ!空を見たまえ。あの何もない、澄み切っただけの青空を見たまえ。天馬や竜の羽搏きどころか、そよ風一つ起たぬこの中で、君は一体どこへ逝こうというのだ!飛竜の節にはまだ遠い、君を運ぶ死神はまだいない。だから生きてくれヴァレンティーヌ、次の飛竜の節まで。いや、次の飛竜の節にもまた我らと大地をそろい踏むために君は眠ってはならない、病魔に負けるなど君らしくも無い! 

(『戯曲 リーガン三勇士』1513:218)

 これは騎士グロスターが病に倒れた同胞ヴァレンティーヌに向けた台詞からの引用である。ここでも「次の飛竜の節にも」の発話対象は危篤状態に陥ったヴァレンティーヌであり、後文脈「また我らと大地をそろい踏むために」と続いていることから、ヴァレンティーヌに対して「生き延びろ」と訴えていると読み取れるだろう。

 このように①と②での「次の飛竜の節にも」は発話対象が死にゆく人間となっている。登場人物の生死と「飛竜の節にも」という慣用句の文化的側面から連想されるのは、エドマンド親子(1392)の竜葬信仰である。エドマンド親子(1392)によれば、竜葬信仰とは飛竜の節に弔われることにより、確実に天へ逝けるという信仰だ。しかし「生き延びろ」と暗に訴えかける描写を見るに、竜葬信仰とは逆説的に飛竜の節以外での死を不吉とするもののようだ。この「不吉」の側面から危篤状態の人間へ向けて発話されることで「次の飛竜の節にも(生きていてくれ)」と呼びかける風習が存在していたのではないだろうか。

5.考察及び結論

 ここでは4の調査を踏まえて何故「次の飛竜の節にも」が病院で使用されるようになったか、その経緯を考察していくこととする。

 まず4 - 1でのアンケート調査の結果によると、「次の飛竜の節にも」を病院で使用する地域はフォドラ南東部に集中していることが判明した。「次の飛竜の節にも」自体は語源を古パルミラ語するが、パルミラとの国境沿い付近の病院では使用が確認されなかった。この調査結果から病院での使用は単なる周圏論的伝播ではないことが分かる。

 次に地続きの伝播でないとすれば、過去に共通した文化的·歴史的背景を持つのではないかと考えたため、4-2では古典作品から過去の使用場面·使用例を調査した。その結果、過去に「次の飛竜の節にも」は危篤状態の人間へ向けて、「次の飛竜の節にも生きていてくれ」という文脈で使用されていることが確認された。確認された用例は文脈に人間の生死が関わっており、「次の飛竜の節にも」が持つ文化的背景と人間の生死の2つの要素からはエドマンド親子(1392)の竜葬信仰が連想される。それにより「次の飛竜の節にも」は古来「生きていてくれ」という文脈で使用されたのではないかと推測される。

 病院での「次の飛竜の節にも」の使用と竜葬信仰には一見して関連性が無いようにも思われるが、病院は常に生死の文化と切り離せない関係にあると言えるだろう。また1642年の国際衛生規則改正より以前、フォドラでの葬儀は土葬が主流であり竜葬が執り行われていた記録はない。しかしフォドラの飛竜渡来地ならば、竜葬信仰という文化は根付きやすいと考えられ、竜葬信仰に則った文脈で「次の飛竜の節にも」を病院で使用されている可能性は大いにある。

 この仮説を検証するには飛竜の渡来地と見舞言葉の使用地域を照らし合わせるべきだが、1500年代後期、漢方や宝飾品の材料として飛竜の角の需要が高まり乱獲が行われて以降、渡りの飛竜が見られるのは指定保護区域のみとなっている。飛竜の渡来地と見舞言葉の文化的背景の結び付きについて考えるのならば、保護区域指定前の飛竜渡来地を参照しなければならない。

 先行研究に挙げたエドマンド親子(1392)は親子2代に渡って当時の飛竜の渡来地を調査しており、保護区域指定前の飛竜渡来地を把握できる調査報告もなされている。以下はエドマンド(1392)の調査報告を元に制作した飛竜の越冬渡来地分布図である。尚、本分布図は当時最も個体数の多かったとされるキンメオオドラゴンに限定したものとする。

図1 飛竜渡来地の範囲.jpg

図1 飛竜渡来地の範囲

このようにエドマンド親子(1392)の調査当時では飛竜の渡来地はフォドラ南部及び南東部に集中していることが分かる。ここに更に4-1のアンケート調査によって得られた、見舞い言葉使用の地域を重ねた結果が次の図2である。

図2飛竜渡来地図及び見舞い言葉使用地域.jpg

図2 飛竜渡来地図及び見舞い言葉使用地域

 図2が示すとおり、ガラテア市を除く全ての見舞い言葉使用地域は、過去飛竜が越冬に渡来した地域と合致している。当時のフォドラでは土葬が一般的であったため、この図だけでは竜葬が実際に執り行われていた証左にはならないが、少なくとも過去の飛竜渡来地と見舞い言葉の定着に因果関係があることは証明するに足るだろう。

 しかし「次の飛竜の節にも」はフォドラでは手紙の結び、及び前向きな意味合いを含む別れの挨拶である。その慣用句を何故見舞い言葉として使用するのかについてだが、ここで先行研究にて上げたヘヴリング(1714)の『フォドラ寓話集』第2版と第3版を再び引用する。

2版:

(前略)蜂なんぞに刺されたんなら、尾っぽ大きくなって寝づらいことこの上なかろ。今からでも遅かない、たんと食べて冬に備えて精々養生するんだな。来年また会おうってんならおっ死ぬんじゃねえぞ。

3版:

(前略)蜂に刺されたのなら尻尾も大きくなっちゃって横にもなりにくいだろう。今からでも冬支度は遅くはないさ。たくさん食べて冬に備えてゆっくり休んで体を治しな。それじゃ、次の飛竜の節にもまた会おう。

(ヘヴリング 1712:79)
 

 『フォドラ寓話集』は初版から現在の第5版に至るまで、児童書としての現代語訳を重ねられているものの、その大筋に変わりはない。そして引用した「尾の太い穴熊」のこの場面はヘヴリング(1714)の指摘するとおり、手紙での使用の例として間違ってはいない。しかし、この用例は手紙での用例である前に、穴熊を「見舞う」場面でもある。つまり少なくとも『フォドラ寓話集』第3版が発刊された当時、フォドラにおける「次の飛竜の節にも」は元々「お大事に」という人を見舞う際の言葉だったのではないか。また「次の飛竜の節にも」はオックス(1648)によると"Dsper e Degón"を語源としており、この語は「飛竜が帰る時まで生きろ」という意味に相当する。このことからも「次の飛竜の節にも」は元々生死の文化に関わる言葉であり、再会を望むという現在の意味よりも生き延びることを約束させる言葉であると考えられる。

 病院という場はその性質上、生死の文化と切り離せない関係にある。古パルミラ語の「飛竜が帰る時まで生きろ」という語は竜葬信仰と共にフォドラに伝わり、飛竜渡来地という飛竜と密接な関わりを持っていた南の一部地域にだけ見舞い言葉として定着した。そして、それ以外の地域では手紙の結びとしての用法のみが残り、本義である「生き延びろ」が消えて「再会を望む」という意味に変化した。

 このことから「次の飛竜の節にも」は見舞い言葉として変化したのではなく、見舞い言葉としての用法が元であり、「再会を望む」という意味での別れの挨拶こそが変化した結果であると考えられる。
 

6.今後の課題

 本調査ではアンケートを行うことで見舞い言葉の使用地域を割り出した。これにより少なくとも見舞い言葉の使用はフォドラ南部に集中していることが判明したが、現地の病院へ赴き実際の使用場面を観察するには至っていない。同時に、フォドラで竜葬が執り行われていたという記録は現在見つかっておらず、この論を更に深めるためにはフォドラ南部を中心としたフィールドワークを行う必要があるだろう。

 また南部から離れたガラテア市でも見舞い言葉の使用が確認されていることは一考の余地が大いにある。この問題に関しては、文献調査の過程で散見されたフォドラ東北部の冥界伝承が関わっているのではないかと思われるが、これも次の課題として一筆添えるのみに留めておきたい。
 

7.謝辞

 本論考は昨年度、インデッハ国文大学へ提出した学士論文を推敲及び簡易化したものになります。寄稿にあたり助言をくださった同輩や教授の方々、当時アンケートに協力してくださったインデッハ国文大学の同輩諸兄に改めて感謝の意を表明致します。

8.参考文献

ヤコブ・エドマンド,ヴィルヘルム・エドマンド『ウロコの在り処』(1392) 夢睡書房

グレイス・エドマンド編纂『完訳南パルミラ神謡集』(1450) 夢睡書房

オフィリア・バーガンディ訳『リーガン三勇士』(1513) ディーア叢書

コーディリア・オックス「パルミラにおける「次の飛竜の節にも」の使用域について」(1648) フォドラ・パルミラ交流機構記念論文集,P98-P112

ニナ・ヴィクター『何故"叫び"は翻訳出来ないか』(1673) エーギル教育社

ヒルチェ・ゴネリル編纂『新訳・フォドラ寓話集』(1682) エーギル教育社

ローウェル・ヘヴリング『児童語の変化から見る文化論』(1712) ディーア叢書

クラウス・グロスセール「古パルミラ語"Dsper"を訳す音韻学的アプローチ」(1731) 聖モーリス大学紀要,P34-56

『フォドラ慣用辞林』(1735) 緑風舎

古典データベースCichol http;//cichol.fodlese.jq/corpus_center.html

作成者:ヨコギ様( twitter / pixiv 

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