伝承の獣「一つ目」の正体
―救国王ディミトリとの相似から―
マルグレット=フォーセル
要 旨 統一戦争中にファーガス・アドラステアの国境付近で広く暴れたと伝承で語られる獣「一つ目」と隻眼の王ディミトリの相似は古くから指摘されてきた。二者には多くの共通項が存在し,同一の存在であったと仮定することで互いに抱えている謎を解き明かすことができる。しかし血に飢えた獣「一つ目」と救国王とも呼ばれるディミトリを関連付けることを厭い,本格的な議論はされてこなかった。本稿は「一つ目」伝承と救国王ディミトリの経歴を比較しながらまとめ,その相似を浮かび上がらせることで後の議論の一助としたい。
1.はじめに
ガルグ=マクからマグドレド街道を北西に下り,道沿いの町で耳を澄ませていれば母親たちが子を叱る際に「一つ目」の名を出すのを聞くことができるだろう。言う事を聞かない悪い子は「一つ目」に食われてしまうよ。幼いころから言って聞かされた恐ろしい獣の存在を出されればどんな悪童もぴたりと駄々をこねるのを止め,不承不承ながらも親の言う事を聞くようになる。
今でもファーガス地方南部の人々の心に恐怖の象徴として住み着いて離れないこの「一つ目」の獣と青年期に右目を欠損した隻眼の王ディミトリの関連は古くから指摘されてきた。この二者にはその外見的特徴を始めとした多くの共通項が存在し,同一の存在であった,またはディミトリの存在が「一つ目」伝承のモデルとなったと仮定すると相互に持つ謎の多くを解くことができる。
しかし,長く複数の国家に分かたれていたフォドラの統一を果たした伝説的な王であり,治世にも今につながる功績の多い救国王の血生臭く後ろ暗い面を語ることを厭う空気は強く,今に至るまで殆ど本格的な議論はされてこなかった。本稿は「一つ目」伝承と救国王ディミトリの経歴を比較しながらまとめ,その相似を浮かび上がらせることで後の議論の一助としたい。
2.獣「一つ目」の伝承
伝わった地域により「一つ目」伝承には異説も多いため,本稿では特に多く詳細に資料の残るパトリアに伝わる伝承を基準としたい。パトリアはフォドラ統一戦争開戦当時の国境にほど近い街であり,開戦直後こそ帝国の侵攻から免れたものの開戦から一年程経過し戦線が北上すると帝国軍の進軍路と重なり度々その被害を受けた。
ファーガス地方全域に共通する特徴として地味に乏しい土地で,フォドラ統一以前の明細帳によると一戸辺りの人口は長く平均五人を超えることはなく多くは四人前後であった。それは統一戦争後増加の傾向を見せるが,契機は甘藷の伝播と普及であったという。甘藷は統一戦争後に盛んになった交易によりブリギットからもたらされ,ブリナック台地で広く栽培された。寒さに弱く伝来当初はファーガスでは根付かなかったが,フェルディアの王立魔道学院による品種改良によりガラテアスイートなどの寒冷地に適応した品種が産み出され,救荒作物として栽培が奨励されたことで急激に広まった(1)。
2.1伝承の概要
「一つ目」とはフォドラ統一戦争当時,まだフォドラ北西部を領有する貧しい一国に過ぎなかったファーガス神聖王国とフォドラ南部の広い範囲を支配していたアドラステア帝国との国境付近に幾度も現れ帝国兵の虐殺を繰り返した獣の呼び名である。
以下に「一つ目」伝説の大筋を『冬の夜長の百物語 パトリアの民話』(2)より抜粋する。
赤い鎧の兵隊を率いる将軍はあっという間に抵抗する大人たちを残らず殺してしまうと,町の真ん中の教会から司教様を引っ張り出してどこかに連れていき,教会には火をつけて燃やしてしまいました。そして町から少し離れた砦にかかった青い旗を焼いて赤い旗を掲げるとそこに居座りました。そうして将軍は町の人々に言うのです。連れてきた兵たちの分の食事を用意するようにと。町のみんなは困ってしまいました。パトリアは元から貧しい土地です。いつもの年だって冬を超えるぎりぎりの蓄えしかありません。戦争で帝国の兵士が畑を踏み荒らしたせいで,その年はそんないつもの年よりもっと苦しい状況でした。けれど断れば抵抗した人のようにみんな殺されてしまうかもしれません。仕方なく翌朝町中から食料をかき集めることを約束し,人々は泣きながら眠りにつきました。
その夜の事です。町外れに住んでいた鍛冶屋のロドリーは遠くから聞こえる悲鳴を聞いて目を覚ましました。砦の方からです。熊か魔獣か,もしかしたら帝国の兵に知っている人が襲われているのかもしれない。そう思うといてもたってもいられず,薪割り用の鉄の鉈を握って震えながら玄関の戸を開けて砦の方に向かいました。満月の晩でした。松明を焚かなくても道は照らされ,外の様子は良くわかります。月明かりの下でロドリーが見たのは信じられない光景でした。片眼を失った金の獣が砦を襲っているのです。とても力の強い獣で,太い前脚を振り下ろすだけで鎧を付けた兵士がぺしゃんこになり,後ろ脚で蹴るだけで大の大人が宙を浮きます。あまりの恐ろしさに,ロドリーは腰を抜かして動けなくなってしまいました。帝国の兵士がみんな動かなくなると,獣はロドリーの方を向きました。ロドリーは自分が殺されてしまうと思い,女神様にどうか助けてくださいと胸の中でお祈りをしました。そのお祈りが届いたのか,獣は青い眼でじっとロドリーを見た後,何もせずにどこかに去っていきました。
翌朝ロドリーの話を聞き,砦の死体の山を見た街のみんなはきっと女神様がパトリアの町を憐れんで御使いを遣わしてくださったのだ。いいや,無実の罪で処刑されたディミトリ王子が獣に姿を変えて我らを守るために無念を抱く死者の住まう地下の国より駆けてきてくださったのだと噂し合いました。みんなは噂話に夢中で,ロドリーと同じように砦の近くに住んでいたオーファンが町から姿を消していたことにしばらく気が付きませんでした。オーファンは次の日も,その次の日も帰ってこないままで、冬にはオーファンの家は雪の重さに潰れてしまいました。(3)
伝承の伝わる街により帝国兵による要求や獣を目撃する人間の名前などが変わるが粗筋としては
①帝国兵が町に進駐し住民へ無理な要求をする。
②住民は冬を超えられなくなることを承知でその要求を呑む。
③夜になると金色の体毛と隻眼を特徴とした獣が現れて帝国兵は老若男女の区別なく殺戮する。
④現場を目撃した住民は獣に見つかるが,女神かまたはその当時既に絶えたと思われていたブレーダッド王家に祈りを捧げるとそれが聞き届けられたように獣は何もせずに去っていく。
⑤住民の一人が忽然と姿を消し,そのまま帰ってこなくなる。
という流れになっている。
2.2モデルの実在
1180年の孤月の節に帝国からセイロス教団並びに教団に味方する諸侯への宣戦布告がなされた為,セイロス教団との繋がりの深い王国は帝国と当初交戦状態にあった。しかし1181年,帝国の支援を受けた宮廷魔導士コルネリアが王子ディミトリの処断を宣言し王都を制圧したフェルディアの政変により王国は実質崩壊する。王都を本拠としたコルネリア率いる勢力はその後ファーガス公国を僭称し,1182年には公国はファーガス地方南西部の大部分を手中に収めた。その後は1186年までフラルダリウス家・ゴーティエ家を筆頭とした抵抗を続ける王国残存勢力の掃討を進めている。
戦争の始まりとなったガルグ=マクの戦いによりセイロス教の大司教レア、並びに彼女に後継者として指名されていた後の大司教ベレトは揃って行方不明となり,信仰の拠り所であった大修道院は大きな被害を受けガルグ=マクの戦い後そのまま廃墟となっていた。精強で知られたセイロス騎士団も壊滅状態となり,残党は大司教補佐セテスを中心として各地を巡り大司教の捜索を行っていた。レスター諸侯同盟もまた帝国からの圧力を受け,新帝国派と反帝国派の間で分裂を起こし大きな交戦こそ起きなかったものの小競り合いを続けていた。こうした理由により1182年の半ばには帝国によるフォドラ統一は時間の問題であると誰もが思っていた(4)。獣が現れたのはそのような時期である。
その為,ファーガスの民たちが祈ることで女神や王家に救われるという「一つ目」伝説は信仰と王という二つの拠り所を同時に失い戦禍にあえぐ民たちが自分たちへの慰めに作り出した都合の良いおとぎ話であり,そのような獣が本当に存在したわけではないとされてきた。しかし当時の記録を洗い直すことによって,モデルとなった獣,または事件の存在が浮かび上がってくる。
この獣の実在についてはユリウス=プリングルの『「一つ目」伝説の源流を探る―帝国兵士たちの記憶より』(5)に詳しい。当時の帝国軍が残した資料,また兵士たちの手記や手紙を辿ると,この時期に国境付近の帝国兵を度々襲う奇妙な存在がいたことは疑いようがない。1183年天馬の節にパトリアほど近くの町ミネラに帝国兵の一人として進駐したバーニー=リプセットが家族に送った手紙を一部引用しよう。
皇帝陛下は功を上げれば身分によらずに取り立ててくれるらしいじゃないか。あの辺りは変な化け物が出るってみんな怯えてるけど臆病もんさ。そんなのが本当にいるなら上だって討伐隊でも組むだろ。どうせもう負けてることに気が付いてないバカな王国の残党が身の程知らずにも暴れてるんだ。早く降伏しちまえばいいのにさ。けどだからこそ俺みたいな下っ端の兵でも手柄を上げられる機会がまだ残ってる。危険も多い分功も立てやすいはずだ。俺は行くよ。それで母さんにもリアナにも腹いっぱい食わせてやるからな。隙間風の入ってくるあのボロ屋だって立て直そう。すぐ戦争を終わらせて帰るからな。(6)
この手紙からわかるのは国境付近に妙な化け物が出現していることが末端の帝国兵の中で噂になっていたこと,そしてそれを大々的に討伐するような動きを帝国軍上層は見せなかったことだ。他の兵士たちの手紙や日誌を見ると相当に広い範囲でこの噂は広がっていたことがわかる。また,プリングルは当時の帝国軍内の陣中日誌や従軍録から王国兵との戦闘が発生しなかったはずの地域で不自然に多くの死者が度々発生していたことを明らかにしている。
バーニーは手紙を送った直後何者かの襲撃を受け死亡している。「悪魔の襲撃を受けたるが如き有様なり。頭蓋のくぼんだ者,手指欠け,首のもげたる者,刃物で頸部を切断し自死したる者,その数二十余名。筆舌に尽くし難し。雨しとど降る。降り止み次第埋葬す。」(7)と陣中日誌に残り,遺体は家族の下へは帰らなかった。
2.3魔獣・魔物との相違点
では,この化け物とは1753年現在となっては絶滅した魔獣だったのだろうか。その疑問は様々な理由から否定される。まず,魔獣は今も各地に見られる魔物としばしば混同されるが,実のところはまったく別種の生き物である。魔獣とは全身を鱗に覆われた蜥蜴を巨大化したような生物であり,例外なく額に赤い石のような部位を持っていた。縄張りは持たず,春が来る毎に番を探して子を産み繁殖をすることもない。現れる際は前触れなく何処から現れ何処へと去った。肉食で特に人肉を好み,各地で頻繁に獣害を起こしていた。驚くことに討伐すると死骸は蒸発するように消え去ったという(8)。この俄かには信じ難い生態をしていた生物がフォドラ有史以来ごく最近まで存在していたのは今更語るまでもない事実である。
「一つ目」伝承との類似を検証してみよう。「一つ目」は何処から現れ何処へと去るという部分を除けば魔獣と特徴を異にしている。まず伝説で「一つ目」は金の獣と語られており,月明かりに体毛が光り輝いていたとされる。これは鱗を持った魔獣とは明確に相違している。また,青い隻眼と残ってはいるが,額に赤い石を持っていたと語られる記述はない。
ならば「一つ目」とは魔物だったのだろうか。これも様々な理由から否定される。人里に降り,大勢の人を襲うようになった魔物が出現する際には多くの場合予兆が現れる。主なものとしては近隣の魔物の縄張りの変化や呼応した狂暴化だ。これは。1578年にオグマ山脈近辺の畑を荒らして回った巨鹿尾根渡りのユックユック(9)や1644年に村二つ滅ぼす大惨劇を引き起こした巨狼断尾のヴォルク(10)の事例が典型である。
しかし「一つ目」の出現前後にはこうした他の魔物の行動の変化というものが見られない。治安の悪化や領主による魔物駆除が行われなくなったことによる獣害の増加は確認できるが,これはファーガス全土で起きていた変化であり「一つ目」の出現に拠るものと断定することはできない(11)。また,群れやその種全般ではなく一個体による人間の襲撃が数年に渡り続くというのは他に例がない。
2.4人という可能性
ならばこの殺戮は人の手によるものであり,王国の残党勢力,またはセイロス騎士団残党がゲリラ的に襲撃を繰り返していたのであろうか。これも当時の両社の状況から考えると苦しい説だろう。
前述のとおり,コルネリアに王都フェルディアを占拠された後帝国に従わずに反抗を選んだ代表格はフラルダリウス家とゴーティエ家である。フラルダリウス家は建国の時代からの王家の盟友の家柄であり,ゴーティエ家はスレンと接する北方国境を任された家柄であった。双方共に王家から信頼が厚く,嫡男であるフェリクス=ユーゴ=フラルダリウスとシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエはディミトリと幼少から交流し士官学校にも同年に通った友人でもあった。後に1185年のディミトリの挙兵に協力し帝国を下す大反抗の立役者となる両家ではあるが,当時表向き王子は処断されブレーダッド家は断絶しており,帝国に抵抗する旗頭を無くした王国残党に味方する諸侯は多くなかった。彼らに国境付近まで帝国兵を一夜で壊滅せしめる程の兵を派遣する余力はなかっただろう。戦略的な意味も薄く,それだけの兵を動かしたにも拘らず一切の記録を残さずにいられたというのも考えにくい。
セイロス騎士団もまた1185年のディミトリの挙兵に呼応し後の大司教ベレトの下に集まるまでは帝国のセイロス教信徒狩りを逃れて各地に離散しており,ファーガスの国境を守る為に人員を裂く余裕はなかった。
何より,伝承に記される獣は常に単独で襲撃を行っており,その外見描写も大きな揺れはなく一致している。複数の襲撃犯がいたとするのは難しいだろう。
しかし,一人の男ないしは女が各地を放浪しながら虐殺を繰り返したとするのは荒唐無稽な話だ。その犯人は素手で人の四肢を引き裂き,数十人の武装し訓練した兵士に囲まれても難なく切り抜け一人も逃がさずに鏖殺できるような人外の力を持つ者でなくてはならない。
しかしベルグリーズ家(12)の者が書いたと伝わる手記の一部にこの襲撃が一人の男による単独のものだったという説を補強する記述ある。手記を記したのは帝国軍の将軍職を務めた男(13)だが,こちらの中で「一つ目」は隻眼の殺人鬼であったと語っている。差別的表現が多いが,当時の世情を映すものである為そのままに引用する。
飛竜の節25日。もう雪が降り始める。こうなると軍が進められない。既に勝負はついているというのに東部を制圧できないのが歯がゆくてしょうがない。王国の兵は教会による洗脳で頭がおかしくなった狂信者ばかりだ。王家なんてもう滅んでいるのに忠誠を叫んで抵抗を続けている。現実が見えていないのだろうか。こんな寒い土地で俺たちの誇り高きアドラステアからすれば残飯にも劣る臭い飯を食べながら毎日を過ごしているせいで自分で考えるという機能が欠落しているのだ。王国の人間など文字も読めない獣だと誰かが言っていたが本当にその通りだと思う。そのおかげで駆除することに一片の罪悪感も湧かないことに感謝するべきだろうか。獣といえば,アリアンロッドの辺りではそんな風に呼ばれる殺人鬼が帝国の同胞を襲っているらしい。金髪に青い隻眼の大柄な男で,白痴なのか言葉を介さないと聞く。下賤な獣の国に相応しい化け物だ。人の命の価値というものが理解できないのは哀れですらある。兵に損害が出ているなら無視できない存在のはずだが,何故陛下は討伐を誰にもお命じにならないのだろうか。それどころか,殺人鬼の存在を秘匿するようにと動いているようにすら思える。(13)
ここから,末端の兵では無い将官たちの間では獣が正体不明の化け物ではなく人間の男としてその容姿も詳細に共有されていたことが分かる。しかし一連の襲撃事件を単独で実行可能な人間などこの世に存在したのだろうか。
ただ一人だけ,この残虐な事件を起こすことが可能だった人物が存在する。それが救国王ディミトリである。
3.救国王ディミトリ
ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッドとは,1181年にコルネリアによって処刑されたはずが1185年星辰の節に学生として一年過ごしたガルグ=マクへと突如舞い戻り,王国残党とセイロス騎士団残党を率いてフォドラ全土を驚くべき進軍速度,そして進軍路によって制圧し,1186年翠雨の節の終わりにはアンヴァルを攻め落としてフォドラの統一を成し遂げたファーガス神聖王国の王子である。金の髪に青い瞳を持つ美丈夫だったと数々の肖像画にも残るが,彼自身は右目を失ったその容貌を醜いと恥じていた。戦後の治世にも優れ民を愛し,ダスカーの悲劇(14)とその後のダスカー征伐(15)により土地を追われていたダスカー人の名誉回復とダスカー半島の自治権返還を始めとした異民族との関係改善,民衆の政治参加の後押し,施療院や孤児院の設立など数々の功績を残している。その物語から抜け出してきたようなあまりにも過大な成果は一人の人間が現実に成したものと考えるには逸脱し過ぎている為,多くの歴史学者たちの頭を悩ませてきた人物でもある。
中でもグロンダーズ会戦後からメリセウス要塞を落とすまでの進軍路はフォドラ史上における最大の謎とさえ呼ばれている。本題からは逸れるがディミトリ王という常識で語るには困難のある,しかし確かに史実上存在した人物の一端を明らかにする為ここで紹介しよう。
1186年大樹の節の末,ディミトリ率いる王国残党軍は旧帝国領最大の穀倉地帯でもあったグロンダーズ平原での王国,帝国,そして同盟軍の入り乱れる三つ巴の戦いで辛くも勝利し,帝都までの進軍路に残すはメリセウス要塞一つとした。しかし,会戦で帝国軍に壊滅的な打撃を与え帝都まで一気に攻め上る絶好の機会であったのにも関わらず,王国残党軍は突如進軍先を皇帝の待つ帝都アンヴァルからコルネリアの占拠する王都フェルディアへと切り替える。コルネリアによる圧制に反発していた王都の民が反乱を起こし積極的に王国軍に協力したことで時を置かず竪琴の節には王都を奪還した。そして翌節花冠の節には同盟盟主クロード=フォン=リーガン(16)の要請を受け,帝国軍に攻め寄せられたデアドラの救援の為出兵しこれを撃退。この時帝国は皇帝エーデルガルトの伯父であり摂政も務めたアランデル公フォルクハルトを失っている。内政のみならず用兵にも長け辣腕摂政とも呼ばれた彼を失ったことは帝国の劣勢を決定付けた。
さらに青海の節の半ばには1181年に帝国方に回った元王国貴族ローベ伯により帝国の手に渡った城塞都市アリアンロッドを王国の手に取り戻し,その一度も攻め落とされたことのないという穢れ無き歴史に泥を付けた。その後なんと2週も開けずに帝国領奥深くまで再度攻め入り,青海の節の末にはアリアンロッドに並ぶ堅牢さで知られた不落要塞メリセウスを陥落させている。この約三節の異常な戦果ととても正気とは思えない進軍路は従軍していた将の日誌やレスター諸侯同盟の円卓会議の議事録から事実であったと認める他ない(17)のだが,それでもディミトリ王が死後神聖視されるにつれてこの時期各地で起きたいくつもの戦いがすべて彼の功績としてまとめ上げられてしまったことによるものだという説が唱えられている。
例として,ティム=ヘイズは『真実の救国王』(18)でアリアンロッドは王国軍が落としたのではなく,王都の奪還を受け正当な王の下に戻ろうとしたドミニク家(19)を中心としたファーガス西部諸侯が長年の不忠の詫びと王への土産として攻め落としたのだという説を唱えている。また,ヘイズはデアドラでの戦闘についても王国軍の関わりを否定している。帝国の進軍自体は卓上の鬼神とも呼ばれた盟主クロードがその策によって撃退し,その後戦争の趨勢が王国にあると見て穏便にその下についたのだとする説だ。この二つの説を両立させれば,グロンダーズの勝利で王国軍の勢いを見た反帝国の諸勢力が王都奪還を契機にこの時期一気に集結,王子ディミトリは彼らの協力を得て一節程かけて軍を再編し,まっすぐにメリセウス要塞を落としに向かったことになるので進軍路の不自然さはほぼ解消できる。しかし当時の記録にヘイズの説を裏付けられるものはない。日和見の王国西部諸侯,レスター諸侯が突然揃って積極的に王国残党を支持するという別の不自然さも生まれてしまう。他にもヴィッキー=ライネスによる王都奪還,アリアンロッド陥落は共にこの時期訪れた雷を伴う大嵐と竜巻により壊滅的被害を受けたところを王国残党軍が運よく掠め取ったのだとする天災説(20),フレデリク=モリエールによるグロンダーズ会戦とは同盟軍と帝国軍の争いでありそもそも王国軍のミルディン大橋の戦いとグロンダーズ会戦への参戦は後世の創作であるとする漁夫の利説(21)など奇妙な進軍路を説明しようとする大胆な説は数多いが根拠に乏しい。
他に面白い説としては王子ディミトリ本人はフェルディア政変で亡くなっていて1185年に現れた彼は王国残党が用意した影武者であるとする別人説などが挙げられるだろう。これはディミトリ王存命当時から囁かれていたようで,アンヴァルに住まう帝国貴族の一人フレイ伯は彼の日記に王国軍を率いるディミトリが本当に正統なブレーダッド家の血筋のものか疑わしいと残している(22)。しかし,これは後述するブレーダッドの怪力譚,そして統一戦争時にディミトリが英雄の遺産アラドヴァルを振るったことから容易に否定できる。
3.1ブレーダッドの怪力譚
ディミトリ,そしてブレーダッド家を語る際に無視することができないのが,王家に代々伝わっていた怪力である。数々の騎士物語や民話にも伝わるその力がどれ程のものであったのかを知る術はブレーダッド家に怪力を受け継ぐ人間が希少になった今では記録を辿るより他ない。現在の国王陛下の曽祖父の弟にあたるイーハ公は数代ぶりに怪力を生まれ持ち,存命の王族の中では唯一紋章を持つ人物である。若い頃は友人の紋章学者の研究に協力し車を持ち上げるなどの無茶な試みをいくつも行った。これは映像記録にも残されている。残念ながら車体は持ち上がらずイーハ公の掴んだ後車軸が真っ二つに折れるという形で終わったが,ブレーダッド家の怪力を示すには十分だろう(23)。
ディミトリ王とその恩師ベレト,また彼の学友たちの間で交わされた私的な書簡をまとめた『フェルディア往復書簡集』(24)によるとディミトリの幼少からの友人であり後にフラルダリウス公となったフェリクスやゴーティエ辺境伯となったシルヴァン,天馬騎士団初代騎士団長イングリットなどは私的な手紙の中で度々笑い話としてディミトリ王の怪力を語っているが,彼らの書簡の中で書かれた言葉がすべて事実ならばディミトリ王は馬を持ち上げる,鋼の剣を片手でねじ曲げる,手槍を投げて重装兵の鎧に貫通させるといった芸当が可能であったのだという。身内で話している中で過去の思い出話が誇張されていった可能性も考えられなくもないが,イーハ公の怪力と照らし合わせれば現実的にあり得た範囲だ。
この怪力は持ち主本人にも扱い難いものであったようで,例えばフェリクスは書簡の中で何度も幼少の頃のディミトリに彼の大切にしていた鋼の剣をうっかり折られてしまった思い出話を書き綴り,ディミトリはわざとではなかったと許してくれとその度に返事に書いている(25)。またディミトリの時代から100年ほど後にまとめられたとされる王室使用人心得では国王やその子息に仕え体に触れることもある役職のものは必ず信仰を修め最低限の治療魔術を身に着けること,そして必ず祈り(26)の指輪を身に着けることを定めている(27)。これらは驚いて少し強く手を握る,体を動かして不意に接触するなどといった常人であれば気にも留めないような些細な動きをするだけでも周囲の人間,時には自分自身の骨を折り肉を裂いてしまうような惨事を引き起こしかねないブレーダッド王家の人々のそば近くに仕えるためには欠かすことのできないものであった。
これは紋章と共に遺伝する力であったようで,例えばディミトリの父ランベールは紋章を生まれ持ち,その怪力でもってスレン征伐で多大な戦果を挙げている。しかし彼の兄,ディミトリの実の伯父イーハ大公リュファスは紋章を持たずに生まれた人間で,その怪力も継いではいなかった。ディミトリの紋章を持たない子孫たちもみな怪力は継いでいない。剣や槍では生涯努力しても兄弟には及ばなかった彼らの中には,紋章を持つ兄弟にとっては脆過ぎる絵筆や楽器をその手に取りファーガスの美術史を彩った者もいる。
紋章が無ければスレンを始めとする外敵に対抗できる怪力は生まれ持たず,またブレーダッド家に伝わる英雄の遺産(28)アラドヴァルも扱うことができなかった為,建国から数百年の間ファーガス神聖王国では紋章を持った者にのみしか王位継承権がなかった。この制限がなくなるのは統一戦争によるフォドラ統一,パルミラとの国交樹立,スレンとの講和などがなって後の事になる。
王国側のみの記録を辿ればこの怪力は誇らしく強大な王の証として語られている。しかし,裏を返せば敵にとって人知を超えた怪力は恐るべき脅威と映っただろう。だがディミトリと相対し生き延びた例が少ない為か,個人の記憶としてその恐怖を語るものは少ない。弓兵や魔術兵が遠目に目撃した回顧録が残るのみだ。
僅かだがその脅威を感じ取れるのが当時帝国軍に従軍していたシェーン=リナカ―の記した『アドラステア滅亡記』(29)である。
1162年,後の皇帝エーデルガルトが皇帝イオニアスの側室アンゼルマから誕生する。それをきっかけとして小貴族の家の出であったアンゼルマへのイオニアスの偏愛が悪化し,翌年には愛娘に有力な後ろ盾がないことを不安視したイオニアスによりアンゼルマの兄フォルクハルトが取り立てられ一気に勢力を急伸させた。それは次代の皇位を息子から奪われるかもしれないという恐怖を正妃(30)に与え,その恐怖は1165年に側室追放事件を引き起こす。この時に生まれた皇帝と貴族たちの間の不信は後にフリュム家の独立未遂事件や七貴族の変,エーデルガルト帝による貴族の大粛清に繋がっていくことになった。帝国崩壊最初のきっかけと言ってもいい皇女エーデルガルトの誕生から1186年の帝国の滅亡と同義であったその死まで,滅びに向かう帝国の記録をまとめた『アドラステア滅亡記』には,帝国の目線からディミトリ王が如何に残虐で無慈悲な敵であったかが語られている。
獣の王が吠え,槍を力任せに振るえば兵の首など容易に吹き飛んだ。空にはね上げられた生首が木々の枝にモズの早贄のように突き刺さり,土に還る事すら許されない様を見ても立ち止まることはできない。兜ごと頭を握りつぶされる同胞の悲鳴も,水の詰まった革袋が破けるようにあらぬところから血を吹き出す友も,麺包を千切るように手足を捥がれる仲間の絶望の顔も振り返らずに駆けなければ到底逃げ切ることなどできなかった。ファーガスの王は常に血に飢えており,視界に入った敵兵を一人残らず磨り潰さない限りは足を止めることがなかった。(31)
ディミトリが槍で刎ね飛ばした生首が高々と舞い上がり木々の梢に引っかかり落ちてこない,鉄兜ごと頭をねじ切られるといった目撃談は当時の従軍録などにも残っている(32)。生まれ持った異能とすら呼べる怪力を殺人の為存分に振るうディミトリは帝国兵の目には化け物のように,時に獣のように映ったのだ。
彼にとって「一つ目」伝説にあるように帝国兵を単独で虐殺せしめ,一夜で壊滅させるなど造作もない事であっただろう。
3.2フェルディア政変から挙兵までの空白の五年
「一つ目」が起こしたとされる事件を単独で起こすことが可能であった力をディミトリが生まれ持っていたことはここまでで説明してきた。金髪に青の隻眼という外見も獣と一致する。しかし一国の王子が警護の兵もつれず記録にも残さずに帝国兵の行きかう国境付近を数年にわたって行き来できるものなのだろうか。
これもまたディミトリには可能である。何度か触れたように,ディミトリは1181年に表向きはコルネリアによって処刑されており,それから1185年の星辰の節まで如何なる記録にもその動向は残っていない。僅かにダスカー人の従者ドゥドゥ―の手を借りて脱獄したと残るのみである(33)。フェルディアの政変直後に当時のフラルダリウス公ロドリグが少数の兵を率いて王都に赴きコルネリアよりブレーダッド家の英雄の遺産アラドヴァルを奪還している為,この時密かに王都付近で保護されフラルダリウス領で獄中の傷を数年かけて癒したというのが定説だがこれは状況から推測したものであって裏付けられる資料はない。王国残党諸侯の動き,五年という当時の王国の状況を考えれば潜伏には長すぎる期間など不明な点も多い。
フェルディアの政変で当初コルネリアはまだ王子であった王子ディミトリの公開処刑を大々的に宣言したが,突然方針を変え秘密裏に処断を執行し遺体は燃やして川に捨てたと発表している。当然これは虚偽の説明でありディミトリはその手から逃げ出しているのだが,この時ロドリグの迎えを待たずそのまま南下し国境付近で公国や帝国へのゲリラ活動を一人で行うようになり,その獣じみた姿を「一つ目」と呼ばれるようになったと仮定すると,謎に包まれた「一つ目」の正体やディミトリ王の空白の五年をどちらも説明することができる。
ディミトリ王が姿を完全にくらました1181年から1185年の星辰の節までの期間は,「一つ目」の活動期間と一致する。「一つ目」は討伐された記録もなく1185年を最後に目撃談が忽然と消えるのだが(34),これはディミトリが1185年から単独のゲリラ活動を止め,王国残党を頼り軍を起こして正面から帝国を打倒するよう方針を転換した為と考えるとつじつまが合う。
また,自軍に度々被害をもたらす「一つ目」の討伐を帝国が大々的には行おうとしなかった理由も「一つ目」の正体がディミトリであり,帝国の上層部にはそれが悟られていたと考えると納得がいく。ディミトリが政変で死んでいないことは公国のコルネリア,そして彼女を後押ししていた皇帝エーデルガルトが誰より理解していただろう。帝国にとっては王国の正統な後継者であるディミトリの生存は絶対に広まってはいけない事実だった。進軍で田畑を踏み荒らし食料の供出を求め,時に略奪も行う帝国軍への不満は戦争が長引くにつれて高まっていた。事実,ディミトリがフェルディアの奪還を宣言した際は各地で反乱が起きている(35)。下手に大規模な討伐隊を組織し「一つ目」の名前を広げ,万一ディミトリの生存が知れ渡れば一度恭順を示した王国西部諸侯も離反しかねない。そうなれば一部隊が壊滅した程度の被害とは比べ物にならない打撃を受けることになる。そうした計算の末,帝国は「一つ目」に殺される兵は必要な犠牲と諦め手出しをしないことを選んだのだろう。
3.3獅子王隊
1185年に突如表舞台に舞い戻ったディミトリの隣には,これもまた五年の空白を如何に過ごしてきたのか不明な存在が二つ寄り添っていた。ディミトリの学生時代その担任の教師を務め,戦後にはセイロス教の大司教ともなるベレト,そして騎士や貴族ではなく主に貧民出身の者たちを主力とした部隊獅子王隊である。
1180年ガルグ=マクの戦いで崖から墜落したところを複数の人間から目撃されていた大司教ベレトが何故ディミトリの帰還と時を同じくして再び姿を現したのか。女神の生まれ変わり,または依り代と呼ばれ数々の奇跡を起こしたとされる彼についての考察は別稿に譲ることにする。
獅子王隊は多くが帝国に攻め込まれたことにより家族や友人を亡くした人々で構成されており,復讐心に燃える彼らは士気が高くどんな劣勢な戦場でも一歩も引くことなく戦った為損耗も多かったが王国軍の中でも随一の武功を上げた(36)。しかし,彼らがどのような経緯で組織されたのか記録は残っていない。フラルダリウス領に逃げ込んできた民の中で帝国に戦意のあるものが自然に集まって作られた義勇隊という説もあるが,そんな烏合の衆を王の率いる主力部隊とすることもファーガス神聖王国にとって建国の祖であるルーグの二つ名を与えることも不自然である。
彼らはディミトリ王が「一つ目」として活動していた時期にその姿に惹かれ,自然とその下に集まった民ではないだろうか。突拍子もない話に聞こえるだろうが,これは民話に語られる「一つ目」とそれを目撃した人々の動きに一致する。概要にて引用した伝承の粗筋の⑤にあるように,「一つ目」伝説では度々獣を目撃した民の失踪が語られる。帝国兵に殺されるでもなく,獣に殺されるでもなく,ただいなくなるのだ。末路を語られない彼らは「一つ目」の後を追い五年共に各地を放浪し,いつしか獅子王隊と呼ばれるようになる部隊の基となったのではないだろうか。
4.おわりに
ここまで「一つ目」伝承と救国王ディミトリの経歴を比較しながらその相似点について述べてきた。活動時期やその人知を超える膂力,その外見など多くの共通点を持つ「一つ目」とディミトリ王は同一の存在であったとすれば,これまで謎に包まれてきた「一つ目」の突然の消失やフェルディアの政変から挙兵までのディミトリの動向など多くの空白を埋めることができる。
今では聖人が如くその人物像を語られることの多いディミトリが人を人と思わない虐殺行為を半ば祖国を見捨てながら数年行い続けたとするこの説は空想が過ぎると批判もあろう。しかしディミトリに極めて近しい人物であったゴーティエ辺境伯シルヴァンが彼の王の死後にその遺言によりまとめた『我が王の記』(37)で記しているように,ディミトリは捕らえた帝国兵への過剰な拷問など苛烈で残虐な面も確かに持った人間であった。そして,それが語られずに忘れ去られることを望まない人間であった。『我が王の記』の序文には次のようにある。
先王陛下が最期に私の手を握り,願った言葉に従いこの記録を残す。世間に流布する騎士道物語と相反するような救国王の姿は恐らく歓迎されないだろう。あの方を理想の聖王として残そうと世界は動き,既に半ばそうなっている。救国王の手がフォドラの誰よりも血で塗れていたなどみな忘れてしまいたいのだろう。それでも,私はこの記録を残す。それが自身の醜さを忘れるなと告げた先王陛下の願いだからであり,そして何より,私自身が幼い頃から見守り続けたあの方の姿を,理想という名の虚構に穢されないそのままの姿で覚えていたいからである。(38)
死に際に自身の行った非道な行為を書き記すようにと誰より信頼する臣に言い残す程犯した罪を世に隠さずにいようとしたディミトリにとって,空白の五年間の行為が自身と無関係な伝承として切り離されている現状こそ何よりの冒涜ではないだろうか。「一つ目」伝承に付きまとうタブーが消え,活発な議論が行われるようになることを期待する。
[註]
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パトリア市誌編纂委員会『パトリア市誌一般編』パトリア市,1724年,p107
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ファーガス民話の会『冬の夜長の百物語パトリアの民話』ファーガス民話の会,1749年
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前掲『冬の夜長の百物語パトリアの民話』p23~P30
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パスカル=クロス『統一戦争近代フォドラの原点』ロディ出版,1733年,p223
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ユリウス=プリングル『「一つ目」伝説の源流を探る―帝国兵士たちの記憶より』天馬社,1750年
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前掲『「一つ目」伝説の源流を探る―帝国兵士たちの記憶より』p175
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ケヴィン=べロム『アドラステアの統一戦争』ルサルカ書店,1689年,p257。「北方部隊陣中日誌」1183年翠雨の節14日
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ローゼ=ベーゼ『図説・魔獣大全』フェルディア書籍,1655年,p5
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ミリー=シャラポフ『獣害の歴史』ルミール新聞社,1701年,p207
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前掲『獣害の歴史』p237
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前掲『獣害の歴史』p58
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帝国六大貴族の内の一つ。軍務卿を世襲した。当時の当主は1180年の皇帝エーデルガルトによる大粛清を生き残り,新政権内でも重要な地位を占めていた。しかしメリセウス要塞陥落時に内務卿の嫡男と共に武勇に優れた次男が戦死し,軍務卿本人もアンヴァルが落ちた後自身の首と引き換えに帝国兵全体の助命嘆願を行い死亡したことで一転し没落する。長男が跡を継ぐが,王国に叛意を持ち戦後帝国残党をまとめ大規模な反乱を起こす。彼が討伐されたことでベルグリーズ家は断絶した。
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『ベルグリーズ州史史料編』1702年,p761
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ダスカーとの会談へと赴いたランベール王一行をダスカー人が襲撃し虐殺したとされた事件。当時王子であったディミトリが唯一の生き残りだった。後にディミトリ王により真犯人の追及が行われ,王家に叛意を抱いていた王国の西方諸侯,後の開戦に向けて王国の分断を目論む帝国貴族,帝国の後押しを受けた宮廷魔導士コルネリアなどの共謀によるものだったと明らかにされてる。
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ダスカーの悲劇の報復として行われた王国軍によるダスカー人の大量虐殺。この後ダスカー半島はダスカーの悲劇の主犯格の一つでもあったクレイマン家により治められることとなり,生き残ったダスカー人は故郷を追われた。
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ディミトリと同年に士官学校に在籍した人物でもあり,青獅子と金鹿の両級長として親しい間柄でもあったとされる。円卓会議で諸侯の了承を得たうえで同盟領を円満に王国に譲り渡し,その後は盟主の座を降りて行方知れずとなった。一説に彼は身分を隠したパルミラの王子であり,後にフォドラと国交を築いたパルミラ王カリードと同一人物であったとされるが,これは両者の容姿が黒髪に翠眼で似通っていたこと,クロードとこれもまた学友であったエドマンド伯やグロスタール伯がカリード王と親しく交流したことから生まれた俗説であろう。
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前掲『統一戦争近代フォドラの原点』p357
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ティム=ヘイズ『真実の救国王』角弓出版,1738年
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ファーガス地方西部の男爵家。英雄の遺産と紋章を受け継ぐ十傑の家柄であり,当主の弟である王国騎士ギルベルト=エディ=ドミニク,彼の娘でありディミトリ王の学友でもあったアネット=ファンティーヌ=ドミニクが統一戦争で王国軍の将として多大な功績を立てたことにより没落したローベ家に代わって戦後要地アリアンロッドを任されることとなるが,当時は一介の小領主に過ぎなかった。
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ヴィッキー=ライネス『英雄の虚実』マテウス社,1730年,p25~p42
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フレデリク=モリエール『青き獅子はミルディン大橋を渡ったか』マテウス社,1743年
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前掲『アドラステアの統一戦争』p402
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ヴィクトル=ルイス=フラルダリウス『ブレーダッドの紋章とその怪力について』フェルディア書籍,1701年
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ホセファ=グイサ『フェルディア往復書簡集』天馬社,1745年
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前掲『フェルディア往復書簡集』p75~p86
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致命的な損傷を受けても一度は命を取り留めることのできる女神信仰による加護の一つ。現在でも高所や工場など危険な作業をする現場では祈りの加護が付与された安全装置の着用が義務づけられている。
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トーマス=カステド『王室使用人心得全注釈』星辰書法,1640年,p56
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フォドラ十傑が古の時代に女神から授かったとされる武具。強大な力を持つが対応する紋章を身に宿す者でないと真価を発揮できなかった為,紋章を持たぬ者は家を継ぐ権利を持たぬという紋章主義を生み出す大きな一因となった。現在では紋章を生まれ持つ人間が少なくなったことや技術の発展により剣や槍による戦争が時代遅れになったこと,そして何より紋章を持たぬ人間には取り扱いが危険な為,大司教バティン主導によりセイロス協会がすべて回収しかつて女神が力を与えた者たちの遺品という形で聖墓に収めている。
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シェーン=リナカ―『アドラステア滅亡記』ルサルカ書店,1677年
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当時の宰相エーギル公の従妹にあたり,イオニアス帝の即位前に既に紋章を持った男児を一人,即位後に持たない男児と女児をそれぞれ一人ずつ儲けていた。一時亡命していたエーデルガルト並びにフォルクハルトの帰国後に相次いで三人の子が病死し,本人はそれを嘆いて自死した。状況からフォルクハルトによる毒殺が疑われている。
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前掲『アドラステア滅亡記』p185
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テア=ラサール『史上最大の野戦を駆ける~グロンダーズ従軍録より~』ロディ出版,1740年,p89
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エドゥアルド=ゾンタ『ダスカー・ファーガス友好史』1722年,p54
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前掲『「一つ目」伝説の源流を探る―帝国兵士たちの記憶より』p303
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前掲『統一戦争近代フォドラの原点』p333
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前掲『統一戦争近代フォドラの原点』p225
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シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ『シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ全集第八巻』「我が王の記」ゴーティエ文庫,1737年
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前掲『シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ全集第八巻』「我が王の記」p17